dete’s diary管理人のプロフィール公開。deteはこうして生まれた。

使い込んだシザーケース

 

dete.jp代表

 

革製品ブランドdeteのミコガイです。独学で革製品作りをスタートし、ブランドを立ち上げました。

 

 

今更自己紹介をするその理由は?

このdete’s diaryというブログは、元々はWEB SHOPでお買い物をする方向けに、商品の製作の裏側や製品の詳細をご紹介するつもりで始めたもの。その為、当店や私自身についての紹介は積極的にしなくてもいいものと長いこと考えていました。

最近になって、WEB SHOPよりも先にブログを知ってくださる方が増えてきました。ブログから入ってきたお客様は、私のことも、deteがどんな組織なのかも何も知らないのでは?そんな当たり前のことにやっと気が付いた今日この頃です。

今日の記事は、そのような最近のお客様向けに、私ミコガイの自己紹介と、deteが生まれることになった経緯を記します。

元々私を知ってくださっている方からしたら、今更かよ!って思われてしまうかもしれないのですがお付き合いいただけたら嬉しいです。

 

dete代表ミコガイのプロフィール

  • 革製品ブランド”dete”(2011年創業)代表
  • 昭和末期生まれ
  • 元美容師
  • 栃木県出身

好きな物

  • リゾート(タオ島とかバリ島とか八重山とか)
  • シュノーケリング/スキューバダイビング
  • 日本酒、刺身、寿司
  • カメラ

嫌いな物

  • うねうねした虫
  • 貝類、ミニトマト、辛い物

 

革製品作りを始めた経緯と選んだ理由

革製品作りを始めた経緯と選んだ理由は、結論からいうと以下の二つ。

 

・起業したかった
・自分の手で作り上げるモノづくりを仕事にしたかった

 

社会に出て初めての就職先は、都内の小さな美容室。美容専門学校を卒業し、右も左もわからない状態で働き始めましたが、正直すぐに、「これ違うな。」と感じました。

根気が無いとか、ある程度やってみないとわからないではないかとか、批判の声は甘んじて受けます。しかし、当時の決断に迷いはなかったし、後悔したことは一度もありません。学費の負担や仕送りをしてくれた両親に対してだけは、心配をかけて申し訳なかったと思っています。

美容師という仕事については今でも本当に素晴らしい仕事だと思っています。多くの美容師さんのことを今でも尊敬してさえいます。ただ、自分には合わなかったというだけのことです。

自分の手で作るモノづくりを仕事にする為、ゼロから調べ始めた

美容師を辞めたものの、やはりデザインへのに関わる仕事をしたい。それも自分の手で何かを作る形で起業をしたい。その思いは美容師を志したころから変わらず、当時興味のあった、世界中のいろいろな工芸について調べ始めました。染織、草木染め、陶器・・・少し毛色の違うものでは古着のリメイクなども。

その中で一番興味を持ったのが染織で、特にラオスやタイ周辺に住む少数民族の伝統的な染織や、沖縄の読谷村(よみたんそん)に伝わる花紋織の読谷山花織(よみたんざはなうい/よみたんさんはなおり)に心惹かれたのです。

ラオスやタイと沖縄じゃ全然違うでしょ!?って思うかもしれませんが、これが意外なほど似ているのです。歴史を紐解いてみると、数百年前に東南アジアと沖縄で交易があり、その中でこの織物が沖縄に伝えられたのだとか。

ロマンがあると思いませんか??

 

読谷山花織 可憐な花柄の内側に秘めたロマン

ロマンで思い出しました。

この布には、戦地へ赴く男と、その帰りを待つ女の悲恋の物語が伝説のように残っているのですが、今ググってみたらそれについての情報は見つけられませんでした。「可憐な花柄の内側に秘めたロマン」という言葉はあったのですが・・・私はこれを知った時感動しましたが、実は美しくもありつつ、生々しい話ではあるので、もしかしたら微妙に伏せているのかもしれません。

興味がある方はもっと掘り下げて調べればネットでも見つかるかもしれません。

このマニアックな布達に出会った経緯とは?

恐らく多くの方は、私が言う織物がどんなものなのかわからないと思います。こんなマニアックな布にどこで出会ったかというと、日本が誇る民藝品展示の二大巨頭、目黒区は駒場の日本民藝館と大阪の国立民族博物館です。上野とか京都の東山区にも素敵なところがあるのですが、話が逸れすぎなのでまた今度。

 

国立民族学博物館と日本民藝館について

手織り

国立民族学博物館にて(施設内撮影可)

 

どちらの施設も、世界中の民藝品や工芸品を展示している施設。

二つの違いといえば、まず大きさ。国立民族学博物館は、本当に大きくボリュームもすごい。そしてもう一つの違いは、展示の目的やコンセプト。

国立民族博物館は主に学術的見地から、日本民藝館は民藝的、芸術的見地から展示しています。どちらも何度行っても飽きることのない素晴らしい施設です。特に国立民族博物館は、これだけに一日を費やす価値があります。

 

ここで出会った布は色あせてボロボロにこそなっていましたが、緻密な文様と時代を経た貫録が漂い、当時の私は圧倒されてしまいました。

 

東京→大阪→ベトナム→タイ、そして沖縄へ・・・

ここからはもう布まっしぐら。布狂いです。

ベトナムの山岳地帯の村Bac Ha(花モン族やターイ族、白モン族などが暮らす)や、タイのミャンマーとの国境付近のカレン族の村などを訪ねては興奮し、訪ねては目を輝かせ、布への興味を募らせていました。

bac ha

2009年頃のベトナム山岳地帯のBac Haのサンデーマーケット。週に一度近隣の集落からたくさんの花モン族が集まって市を開く。みんな徒歩で山を越えてやってくる。女性はこの格好で日々過ごし、農作業までこなします。小さな子供からおばあさんまで。それも観光目的とかじゃないんですね。衝撃的な光景でした。男性はみな普通。なんで?

ここのマーケットでは、近隣の別の少数民族の服なども売られていて宝の山でした。柳宗悦氏がもしここに来ていたら、きっと目を輝かせていたのではないでしょうか。

 

カレン族の村

タイ北西部の村ソッポンからほど近いカレン族の集落にて。手織り+刺繍の貫頭衣と絣(かすり)の布

 

 

そして、最後に沖縄の読谷村を尋ねました。

結論。思っていたのと違った!

思っていたのと違った。

そう、思っていたのと違ったのです。

何が?

現代に織られた読谷山花織の帯が、自分の思っていたものと違ったのです。

沖縄に渡った経緯

私の記憶が確かならば、読谷山花織は一度は作り手がいなくなり、歴史が途絶えてしまった工芸。館創設者の柳 宗悦(やなぎ むねよし)の蒐集によって、はるか昔に作られた数枚の美しい布を民藝館で拝むことができたのです。

近年になり、その貴重な伝統工芸を復活させようと、少ない資料を元に、読谷山花織の技術を復活させた方達がいて、沖縄の読谷村で展示されているとのこと。

行ってきました。

何なら、その場で、ここで読谷山花織を勉強させてはもらえまいかと頼み込もうかぐらいの前傾姿勢で、沖縄の読谷村へと飛びました。これを書いている2019年5月から11年前、齢23の夏のある日のことです。

そう。これじゃなかった。

そこで出会った布は、紛れもなく、駒場の民藝館の暗い廊下で見たあの布と同じ。たしかに緻密で美しい。それは間違いない。

なのに、あの時の感動がよみがえることはありませんでした。

 

沖縄に来る前は、これを仕事にしたいと思った。今度こそという想いもあった。

でも、違った。これじゃなかった。

こんな書き方をするのは、作り手の方にも、そして何より、苦心の末にこの布を復活させた方(与那嶺貞さんという方で、人間国宝に指定されています)に対して失礼ですし、読谷山花織の評価に対する風評被害を与えかねない危険をはらんでいることは承知。

読谷山花織自体はとてもすばらしいものです。これだけは誤解のないよう伝えておきます。

でも、がむしゃらに突っ走ってたどり着き、ある意味ではすがるような気持ちで沖縄にやってきた当時の自分には、素直に感動が生まれなかったことが何よりショックで、希望に満ちていたところから一気に暗転。誇張ではなく本当にそう感じたのを覚えています。

自分が作りたい物は何なのか?バイトをしながら模索する日々

旅から帰ってから(詳細は省きますが3カ月半ほど放浪してました笑)、都内のアパートは引き払っていたので4年ぶりに実家に帰り、アウトドア用品店でバイトをしながら、自分が本当に作りたい物は何なのか、自問自答を繰り返す日々でした。

あんなに感動したあの布に、沖縄の地で心揺さぶられることがなかったのはどうしてなのか?

その答えは、たまたま入った古着屋で見つけた、一つの古いバッグにありました。

 

私が心惹かれる物はこれだった。使い込んだこの味・・・

古着屋で見つけたそのバッグは、なんとかまだ使えるかな?くらいのズタボロ感。なのにどうしてか、心をとらえて離さないこの感覚。

思い出しました。

あの時、民藝館の暗い廊下で見た古い布の迫力。それに近いものを、どこかの国の誰かが作った革のバッグが漂わせている。

時を経て、使い込まれた末に完成する美しさ。これこそが自分の作りたいモノだったのです。

 

こうして、私は経年変化の楽しめる革素材に傾倒していきました。

“使い込まれた末に完成する美しさ”に惹かれて始めただけあって、最初は革だけに限定するつもりはさらさら無く、ニュートラルな気持ちで取り組んでいましたが、革を知れば知るほどその奥深さに取りつかれていき、いつの間にか工房を開いて今に至るというわけです。

自分語りが長くなってしまったので、最後まで読んでくださった方はかなり少ないんじゃないかと思いますが・・・こういう生き方の人間もいるんだ。とか、私が買った革製品はこういう人間が作っていたんだ。とか思って、少しでも興味を高めてもらえたらありがたいかなと思います。

 

使い込んだシザーケース

 

最後に、ブランド名のdeteの語源は?

よく聞かれるこの質問。

Q.どういう意味なの?

A.答えを先に言うと、tede(手で)をさかさまにしたものです。

Q.何でさかさまにしたの?

A.元々は、tedeという名前でブランドを立ち上げ、そのタイミングで展示会を開くことを決め、段取りを進めていました。準備も佳境に入ったころ、その段階になって初めて商標を検索したところ、近い業種で同じ名前で商標登録を済ませている企業があり・・・

期限前でバッタバタだった私は、

えぇい、ままよ!

と、tedeをひっくり返してdeteを誕生させましたとさ。

 

 

ふつつかものですが、これからdeteをよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

タイトルとURLをコピーしました